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宿場町アップデートプロジェクトとは

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江迎町には江戸時代に平戸藩主が参勤交代の際に休泊する本陣が置かれ、平戸往還の宿場町として栄えました。

半島に切り込んだ江迎湾は古くから交通の要衝であり、文字通り「入江で人々を出迎える」町でもありました。

歴史ある中継地点としての立ち位置を再認識し、私たちは江迎を日本で一番の「現代版宿場町」にアップデートしようと考えています。

この地で挑戦したいという起業者を広く受け入れ、同時に、町並みを元気にする「立寄処」として、食事処や休憩処、店舗などを展開。地酒や醤油といった江迎の発酵食文化を活かしたメニューも開発し、まちの機能も景観も、「現代版宿場町」へ、一歩一歩変えていきたいと思います。

訪れた人のからだに英気を養い、人々の賑わいを生み、住む人も元気になる――。古き良きものを更新し、優しくパワーチャージする〝恢復TOWN EMUKAE〟を目指します。

江迎町の歴史

平戸街道に現存する唯一の本陣

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平戸藩主が参勤交代の際に休泊する本陣屋敷が定められ、街道を往復する人や馬のための「宿駅」が置かれるなど、宿場町として発展。 旅人にも飲まれていた名水を使用し、酒造りが開始されました。

平戸街道の宿場町として発展

江戸期

出典:江迎町郷土史

⼤正6年の江迎(出典:江迎町郷土史)

大正六年の江迎町MAP.png

明治中期になると商店が増加。大正期には、酒、焼酎、醤油、酢、味噌、漬物等の発酵食品を製造・販売しました。

交通の要所として、様々な物資の集散地として賑わう

明治・大正期

人の往来や物資の交流が活発化し、旅館、飲食店のほか、商店街、官公庁、金融機関等が整備されました。地域外からも多くの移住者が江迎に拠点を構えます。(炭鉱は昭和41年に閉山)

炭鉱業が開始され、炭鉱の町として繁栄

昭和期

大正3年の実業大会。町の名士が大集合です。

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地域外から多くの移住者が江迎に拠点を構えた

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昭和39年

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昭和31年

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水かけ地蔵祭り

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今でも地域の中継地点であり、水かけ地蔵まつり、江迎千灯籠まつりといったお祭りや、地酒や醤油、押し寿司といった食文化など、昔からの文化・伝統が受け継がれています。

平戸街道に現存する唯一の本陣や石畳など、かつて宿場町として栄えた歴史や文化が色濃く残ります

現代

江迎が最も賑わった炭鉱時代

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江迎千灯籠まつり

行き交う人々を迎え入れ、心身ともに恢復させてきたこの町を「現代版の宿場町」としてアップデートします

歴史を通して見えてくるのは、この町がずっと、中継地としての役割を果たしていたこと。宿場町のあった昔から、そこで人は休息し、体力を回復させ、英気を養い、次の目的地に向け出発していきました。また、交通の要衝であり、新たな人やもの、文化が集まり、交差する場所でもありました。行き交う人やものを迎え入れ、休息する人の体力を回復させ、気持ちを温めてきた町、江迎。私たちはこの江迎町を、「現代版の宿場町」として捉え、いま訪れる人、そこに暮らす人双方のニーズに合うよう、アップデートしたいと考えています。

©SASEBO

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