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中町通り

江迎の発展のはじまり

恢復食堂ŌTAYAがあり、現在は商店街の裏通りとなっている「中町通り」は、かつて宿場町・江迎の賑わいの中心でした。

 

平戸・松浦藩において、「街道」や「宿駅」の制度が定められたのは江戸時代の1650年ごろ。当時の江迎の中心となっていた町筋に、「江迎駅」と呼ばれる、常時馬が用意された現在の停車場と郵便局を兼ね備えたような交通機関が置かれました。

 

江戸時代に「江迎駅」が設けられてから、中町通り一帯には馬小屋、宿舎などが建ち並び、周囲の村から人の往来も生まれ、自ずと「まち」が形成されていったと言われています。

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大正6年の江迎港案内図。現在の中町通りに商店や旅館が連なる。

大正時代は現在の中町通りがまちの中心となり、様々な商店や旅館などが建ち並びましたが、その前面・現在の商店街周辺はまだ「前潟新田」と言われる田んぼでした。

昭和時代になると、石炭産業の隆盛により人口が増加し、人の往来、物資の需要が増えていきます。新しい商店も増え、それにつれて金融機関の進出や諸官庁の設置、旅館や飲食店なども多くなり、中町通りのひとつ西側の通りに新しく商店街が形成され、今のような姿になっていきました。

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江迎支所屋上から見た中町通り(中央)。左の道は寿福寺に続く寺町通り。

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現在の中町通りは静かで趣のある細い路地。恢復食堂ŌTAYAもこの通りに。

江迎のまちが発展するきっかけとなった中町通り。今ではお店は少なくなりましたが、細い路地に町家が建ち並ぶ姿は、宿場町らしい風情を感じる通りでもあります。

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